目次
- 山本柊輔
- 挑戦
- 前代未聞
- 本番
- 出会い
- 夢
こんにちは、宮本です。
昨日、ここまでやまもんトーークなどのイベントでご一緒させてもらってきた
山本柊輔選手の新天地ライブ配信が行われました。
EXTRAPASSの方でサポートをさせて頂きました。
山本柊輔選手はNBLカナダに挑戦!!
— 山本柊輔 (@shushu_1031) August 10, 2019
正直、泣くかなと思いました。
でも、堪えました。笑
今回はここまでの道のり、いろんな思い出、何より僕が山本柊輔選手から学んだこと書いていきたいと思います。
よかったら、最後までお付き合いください。
山本柊輔
僕は山形時代、筑波大学時代から山本柊輔という男を知っていた。もちろんテレビの向こう側、コートと観客席の関係。
ただ、振り返ると何か縁のようなものがある気がしている。
2014年インカレ
僕の心を射止めた選手がいた。
筑波大学のキャプテン、現名古屋ダイヤモンドドルフィンズの笹山貴哉。
そのインカレで筑波大学は東海大学の3連覇を阻止し、61年ぶり2度目のインカレ優勝を果たした。
当時はスーパールーキーとしてアルバルク東京の馬場雄大、サンロッカーズ渋谷の杉浦佑成が加入した年だった。
当時、山本柊輔は3年生
Aチームに上がったところ(やまもんトーークなどで話していたところ)
そのメンバーに入っていたことで、僕は彼のことを知ることになる。
そして、4年次も筑波大学のインカレ連覇に貢献
そこから、プロ選手として山形ワイヴァンズ(当時NBL)に加入
その山形ワイヴァンズの初代選手会長は、
僕の中学の先輩である輪島射矢(アースフレンズ東京Z)だった。
輪島射矢が山形時代から試合観戦などにも行っていたため、彼が福島に移籍した後も、僕は山形の動向をチェックしていた。
その時、「あ、筑波の山本は山形に入ったんだ。」
と思ったことを覚えている。
正直、山本柊輔を知る、動向を知るのは、まったく別の誰かがきっかけである。
しかし、僕にとっては何か引っかかりがある選手だった。
今思えば、それこそが山本柊輔の魅力なのかもしれないし、何かの縁なのかもしれない。
その時は、こんなにも多くの時間を過ごすことや僕の地元であるレバンガ北海道に加入するなんてことも全く考えてもいなかったし、イメージすることすらない未来だった。
挑戦
僕は個人で様々な活動をしていた。
選手のクリニックだったり、コーチの講習だったり…
自分が「知りたい!!」「学びたい!!」と思ったこと、もし同じ気持ちの人がいるのなら、みんなで共有できれば、素晴らしい時間が作れるのではないかと考えている。
そんな中、昨シーズン
いつも自分が注目する選手の近くに顔を出してくる笑
山本柊輔が地元レバンガ北海道に加入のニュースに驚きと喜びを感じた!
そこからの、特に終盤での活躍はみなさんもご存知の通り。
そして、シーズン終了後
2019/5/1
山本柊輔がTwitterで呟いた。
今年のオフは『自分史上1番の挑戦的オフ』をテーマに、オンコートオフコート共に様々な事に挑戦していきます😎🔥#オフ全力挑戦宣言 #やっちゃえやまもん
— 山本柊輔 (@shushu_1031) May 1, 2019
僕はすぐに彼に連絡をした。
やりたいことがある。彼にやって欲しいことがある。
僕自身、指導者、バスケに携わる人間として指導、戦術の解説、また地元であるバスケ北海道で「87Labのがんばれレバンガ」(18-19シーズンで終了)を連載させてもらった。
そこで多く方からのメッセージをもらったり、時に批判をもらい、議論したり、
こういう発信でバスケを通じて、北海道が盛り上がりを見せること、それぞれが感じることや考えることが本当に嬉しかった。
その時、終盤戦、多くの人の心を射抜くプレーを見せ、1戦1戦成長を見せる山本柊輔の言葉を聞いてみたい。
僕はそう思った。
彼からも「はいはいはい、それは面白いですね。」←口癖笑
と返事をもらい、すぐに当時所属していたレバンガ北海道にも企画を出し、なんと許可がおりた。(ビビりました。笑)
その許可が下りた大きな理由には山本柊輔本人が「これをやりたい!」と言ってくれたことが大きかったと後から聞いた。
その時、僕はこれがただのイベントではなく、山本柊輔の想い、挑戦の形。
その第一歩になるのではないか。直感的にそう感じた。
それを全力で支えていきたい。そう思ったことを今も鮮明に覚えている。
前代未聞
そして、前代未聞の東京で行うレバンガ北海道所属選手(当時)山本柊輔のイベントが行われることが決まった。
先に述べておきたいのは、本当にこれは異例中の異例で、レバンガ北海道の大きなサポートがあったことは感謝の気持ちしかないし、地元クラブがそういう想いに答えてくれるクラブであったことは大きな喜びでもあった。
やりとりをする中で、色んなところで話しているが、僕は大枠のイメージ以外を全て山本柊輔に任せるようにした。
山本柊輔が作るイベントを自分自身も見てみたかった。
これも前代未聞だと思う。
(当時を振り返れば、正直すごい無茶振りだったと思う。笑)
やり取りする中で僕が伝えたイメージはとあるサッカー番組で
ライトな人にも、コアな人にも選手だからこそ伝えられる学びのある情報
(カッコよくいうとそんな感じ)をお願いした。
お願いすると山本柊輔はいつもこう答える。
「はいはいはい、なるほどですね」←口癖笑
そして、彼が切り返してきた。
「名前とか、何かイメージとかありますか?」
僕は何個か持っていたイメージを伝え、「山本くんは何かある?」と聞くと、
「例えばですけど、今、やまもんブックとかで更新してるんで、やまもんトーークとかどうですかね?」
遠慮がちに聞いてきたが、その瞬間「決まった」と僕は思った。
「いいんじゃない?」
と返すと、その時はまだ恥ずかしさと遠慮があったのか…
「そうっすか?宮本さんの方でも何かあれば」
とその時は話を終えたが、僕の中で「やまもんトーーク」に決定した。笑
そして、後日、本人からも
「やまもんトーークで行きます!」と。
その時は、前々から本人の意思は決まっていたのだろうけど、なんかちょっと嬉しかった。笑
本番
前代未聞の東京開催、「やまもんトーーク」が決まり、準備段階から本当に多くの人が協力をしてくれた。
チケットは東京開催なのに、即日完売で、追加席を設けることに。
それもまさに山本柊輔自身の魅力や人間力なのだと思う。
本番前に集まったのは「聖地スタバ」笑
当日の緊張感は何か不思議な感じもありつつ、ズボンさん、岸田アナ含め、サポートしてくれた多くの方、会場に参加してくれた皆さんのおかけで大成功と言ってよかったと思う。
そして、それをそのままホーム北海道に。
正直僕はホームという安心感と信頼で、そこはほぼノータッチだったのだが、東京よりも直前まで色んな問題が起こって…笑
それでも、会場を埋め尽くすレバンガ北海道ブースターの熱量、暖かさのおかげで無事に終えることができた。
両方通じて僕が学んだことは、やはり真ん中にある「想い」を常に忘れないこと。
もちろん自分はその「想い」が強すぎたり、こだわり過ぎて、時に周りに迷惑もかけた反省もある。
それでも、その「想い」を一瞬も忘れずにできたこと。
どっちがいいかな。
どうしたらいいかな。と悩んだ時は、その「想い」に沿って行動できたことは、今振り返って、そして何より、山本柊輔の言葉で参加してくれた人たちに届けられたことが、色んな人にとって喜びや学びになったのではないかなと思う。
また、これもどちらのイベントでも伝えたが、全てが山本柊輔が作り、トーークも特に台本のようなものは用意していない。
みなさんからも大好評だったやまもんトーークでの山本柊輔のトーク力は、隣に立っていても本当に尊敬に値するものだった。
東京開催も札幌開催でも新しい出会いがあり、サポートしてくれた人がいて、東京開催ではプロ選手やプロコーチも会場に足を運んでくれた。
それこそが山本柊輔の魅力なのだと感じた。
出会い
山本柊輔、やまもんトーークは本当にたくさんの出会いをくれた。
やまもんトーークをきっかけにズボンさんと一緒に活動するEXTRAPASSも一気に活動の幅が広がった。
猪狩渉をはじめとする若手プレイヤーたちとも出会い、そのきっかけも山本柊輔である。
出会いは人生にとってすごく大切なものであることは理解していたつもりだが、出会いがさらにたくさんの出会いを作ってくれることを僕は山本柊輔から学んだ。
そして、何より、山本柊輔をきっかけに出会う人たちがみんな魅力的な人であることはいうまでもない。
それは本人が魅力的であることと=なのだと思う。
いい出会いはいい出会いを連れてきてくれる。
そして、その出会いから色んな可能性が見えてくることを今回経験させてもらった。
夢
やまもんトーークが終わった時は、「来シーズン応援に行くね!」と伝えていたし、思っていた。
気づけば、行き先の候補には「カナダ」が浮上し、驚きとかでではなく、何かできないか。と探している自分がいた。
やまもんトーークの準備から3ヶ月。
まだ3ヶ月か…と思うこともあるし、もう3ヶ月もたったのか。
そう感じることもある。
もっと昔から色んな話をしていたようにも思う。
書いていいかはわからないが、本人も色んな迷いだったり、悩み、葛藤があったことは会った時の表情から感じたことがある。
僕やズボンさんがこんなことも楽しい、こんなこともできるんじゃないか。
と盛り上がりつつも…
正直、僕はどこまで踏み込んでいいのか悩んでいたし、怖さがあった。
その時にいつもズボンさんは
「そこは山本くんの気持ち次第ですよ。」
落ち着いた声で話してくれた。
本人の人生であり、山本柊輔のバスケットボールであり、何よりやまもんトーークからずっと、その本人の「想い」を大切にする。
個人的にそう決めていた。
いつだったか、僕にも「宮本さんはどう思いますか?」と聞いてくれたことがある。
その時は、僕も思うことをそのまま答えた。
その中で、僕もできることを考え、提案し、いつ何時も動ける準備をしていた。
(ズボンさん、急に色々仕事を降って忙しくさせてごめんなさい。笑)
そんな中、一緒にある人に会いに行ってから、山本柊輔の表情か少し晴れやかになり、
「やってやりましょう!」
そんな雰囲気に変わった時があった。
僕自身も一緒に話を聞いていて、「すごい」と感じながらも、納得だったり、考えることがある時間だった。
その中で、夢を語る山本柊輔の姿に、何かグッと込み上げるものもあった。
もちろんそれだけではないと思う。
山本柊輔は常にそんな自分のきっかけになる何かをキャッチするアンテナをはり、色んな人に会い、色んな話を聞き、自分の考えを伝え、様々な活動をしつつも、可能な限り、子供達やバスケを愛する人たちへ活動も並行して行なっていた。
正直、尊敬の気持ちしかない。
そんな中、こうやって今回も会見の時を一緒に過ごさせてもらえたことは、涙がでるほど、嬉しく、前日はなぜか僕が緊張して眠れなかった。笑
支援、応援してくれる人の中にも、もっとすごい人達がたくさんいると思う。
それでも、何もできない自分と慌てふためく僕をさらさらと流しながら、しっかりと仕事をこなすズボンさんのEXTRAPASSと一緒にこの日を迎えさせてくれたこと、発表のサポートをさせてもらえたことは感謝しかない。
(結局ズボンさんの力は偉大笑)
気づけば、山本柊輔は僕の夢だった。
「あんなやつらには敵わない。」
そう思ってバスケをやめた自分に、
「そんな奴らに挑戦したい!」
と目を輝かせる山本柊輔という男は間違いなく、
自分の心のどこかで引っかかり続ける後悔、その夢の続きを見せてくれる。
そんな存在だった。
だからこそ、いい距離感で居続けること、彼の「想い」を感じ取り、その中で何かを投げかける。
そう心に誓った8/10までの時間だったし、これからもそれは変わらない。
今、ホッとして振り返ってみて、正直、僕の中で僕が山本柊輔にできたことは、ほとんどない。
迷惑をかけたことの方が多いかもしれない。
それ以上に山本柊輔から、活動から学び得たことがたくさんある。
それらをこれからも財産として、次の世代、次の時代に繋げていきたいと思う。
何より、これからも変わらずに山本柊輔を応援し続けていく。
カナダに行って、もっとビッグになって…
いつかあんな選手になりたい!と北海道の子供達が山本柊輔をみて、目を輝かせるそんな時に、
(今もたくさんいると思う)山本選手はレバンガで活躍した選手なんだよ。と
その選手から得てきたことを北海道の子供達に伝えられたらなと思う。
これからの挑戦は正直もう、僕には想像ができない。
それでも、送り続ける余計なパスが、どこかでだれかのバスケ人生に大切なパスになるように。
いつか、あの時があったから…今がある。
そんなことをズボンさんと3人で話せるような、これからに僕も挑戦したい。
今回堪えた涙は、カナダでの活躍を見たときのためにとっておこうと思う。
やったれやまもん!!!
そして、ありがとう!!やまもん!!
最後に、山本柊輔選手に出演していただいた、ここまでの様々なイベント、企画を通して出会った皆様、協力していただいた方々、ご参加頂いた皆様、そして山本柊輔選手に改めて感謝を申し上げます。
これからも一緒に山本柊輔選手を応援していきましょう!
人気連載「輪島射矢を追いかけて」
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やまもんトーークから学んだバスケットボール
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やまもんトーーク in TOKYO レポート
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