自覚と責任

目次


  • 自覚と責任
  • Bリーグの成長曲線
  • 過去、現在、未来
  • 僕が考えるバスケのこれから

こんにちは、宮本です。
非常に残念なニュースが飛び込んで来ました。
載せたくないのですが…

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180820-00000140-dal-spo

読みたくない方や、お前の意見なんか聞きたくはないという方はここでお戻りください。
1人のバスケに関わる人間として、また育成年代に関わる人間として、僕はここから目を背けてはいけないと感じています。



自覚と責任


TOKYO ANDERSEN時代この言葉を常に使っていました。

自覚と責任

練習に参加することの重要性やその態度
チームに加入したいと言われた時、君には無理だと言ったこともあります。
やめろと言ったこともありますし、やめたいと言った選手を辞めさせなかったこともあります。

それは全てのこの自覚と責任が判断の基準でした。

学生からすれば、は?と感じることが多くあったと思います。
何で大学生にまでなってそんなこと言われなきゃいけないのか。
喧嘩をしたこともあります。
自分が学生だった頃を振り返れば、正直そんなことを言えるような人間ではありませんでした。

多くの人を傷つけましたし、迷惑をかけたことばかりです。
めんどくさい、かっこ悪い、自分さえよければ、
そう言っては、反発したことがたくさんあります。
しかし、たった1人、大学時代の恩師は、僕が調子に乗りそうになった時や気が抜けているように見えた時
叱ってくれる。そんな存在でした。

指導者になり、恩師からよく言われたことが
指導者としての振る舞いでした。

今回の不祥事は、全員がBリーグのプロ選手なので、学生とはまた違いますが、
この自覚と責任があまりにもかけていたと言わざる得ません。

ただ、それも時代なのかもしれません。

時代の変化や環境の整備により、コミュニケーションや人間力の学び方が変化して来たのは
多くの方が感じていると思います。
数十年前の20歳と今の20歳ではこの自覚と責任の部分が全く違うのでは
と個人的に感じています。

それでも、擁護できないくらいどうしようもない行動でした。
日本の代表として、バスケだけでなく、他競技にも、日本という国にも
マイナスを作ったことは間違いない事実だと感じざる得ません。

本当に信じられない不祥事です。




Bリーグの成長曲線


ただ1つ、言い訳になるのですが、感じていることがあります。
環境が変わりすぎたことに選手の方が適応できていないということです。
もっと言えば、バスケに関わる殆どの人がその環境に適応できてないと僕は感じています。

それは、ある切り口で見れば、それだけここまでのバスケットボールを取り巻く環境が
お粗末なものだったのではないかと感じています。

国際試合出場停止から始まり、そこまでの日本バスケットボールの取り組みは本当にひどかったと言わざる得ません。
もちろん選手含め、関係者の中には頑張っている人が多くいたと思います。
それでも、権力の争いの中で、そんな努力はかき消されてしまうのがそれまでの日本バスケットだったと思います。
何より、その中でも女子は着実に成長を続け、男子に足を引っ張られていたことを忘れてはいけません。
(今ままでも、今回も)

しかし、Bリーグ発足をきっかけに環境は激変しました。

SNSを使い、多くの仕掛けが展開され、選手はアイドル化し、アリーナは過去には考えられないような
人数が訪れるようになりました。それまで、バスケを見に行く。なんて行為は
ある意味、え、どこでいつやってるの?レベルだったものが、週末日本の各地で試合が行われ、
そこに足を運ぶ人はもちろん、知名度も格段に上がったと感じています。

ただ、まだまだこれから…

というときに今回の不祥事が怒ってしまいました。
ただ、冷静に考えれば、起こるべきして起こったのかもしれません。

経済やテクノロジーを見ても、世界のなかで、すでに日本は追いついてない人が多くいる国だと思います。
進化に人間が追いついていない。これは今後さらに格差が広がってくるのではないでしょうか。

そういう意味で、Bリーグの進化にも、適応できていない。
要するに、先ほどのプロとしての自覚と責任を持ち得ている選手と天狗になってしまう選手が
出てくるのは時間の問題だったのかもしれません。

それは選手だけでなく、バスケを取り巻く環境にいる全ての人に
もちろん僕にも当てはまることなのだと感じています。

アイドル化された選手はちやほやされることが増えました。
エンターテイメントとして、集客努力が素晴らしいですが、それによりバスケ以外の部分で
注目されることも増えたと思います。
爆発的に増えたファンは選手が何をしてもSNSなどを通じて、可愛いと絶賛します。

そこに勘違いをするな

という方が難しいのかもしれません。

もちろん僕自身もこのように発信していることが、だれかの何処かに
いい意味で刺さることもあれば、悪い意味で刺さることもあるのだと思います。

注目され、人が集まれば、自ずと摩擦が起こることもあります。

Bリーグのそんな成長曲線に僕ら自身が適応できてなかったのかもしれないと
僕は感じてならない部分があります。




過去、現在、未来


また、過去を振り返って見れば、バスケットボールは正直そんなに褒めるような
スポーツ環境ではなかったのかもしれません。

それが現在、未来と繋がっていくわけですが…

個人的にどこが、誰が
というわけではなく、数年前まで、バスケットボールの選手が街中を歩いていることは普通でした。
日本代表クラスでも、バッタリ遭遇したとき、周りの人が、

大きいね、バレーボールの選手かな

と言われた場面に出くわしたこともあります。
(もちろんその時だけなので、すべてでなはい)

それくらいバスケというワードが日本にはありませんでした。
ファミレスで入り浸っている場面も見たことありますし、
パチンコ店にいつも入っていくそんな場面もよく見ましたし、聞きました。

ある意味、それが普通だったのです。
多くの選手が記事などで語る時がありますが、
バスケさえしていればよかった。
それはまぎれもない事実なのだと思います。

しかし、現在は違います。
ファン獲得のために、今まででは考えられないサービスで僕らを楽しませてくれます。
街であっても、素晴らしい対応をしてくれる選手が多くいます。

本当にBリーグができたことで変わったことが多くあると思います。

しかし、未来が今のままでいいのか
となると僕は疑問を持ってしまうことも事実です。




僕が考えるバスケのこれから


偉そうになってしまいますが、バスケットボールはもっとバスケットとして価値を高めていかなくはいけません。
それは、選手たちが引き続き、試合やトレーニングに励むことであり、世界を相手に結果を出していくことが大切です。
それに合わせて、バスケ選手が社会にとって憧れや地域などの活力になれる存在になっていかなくてはいけない。

それはBリーガーになってからでは遅いのではないかと思うのです。

他のスポーツを見たとき
例えば野球の大谷翔平選手やサッカーの久保建英選手などはインタビューで高校生とは思えない
受け答えができます。

しかし、一方バスケを見て見れば、Bリーグのプロですら、その風貌、身なりはちょっと…その受け答えはちょっと…
と感じることは割と感じます。

しかし、ブームとは不思議なもので、それさえも
可愛い
と高評価に繋がっていく

これは、Jリーグの時も同じだったように感じています。
(当時はかっこいい)

要するに僕の中で、バスケットボールの価値を高めていくためには
バスケットボールに関わる人の人間力が向上することが大切だと捉えています。

社会の中で模範とまで言わなくても、当たり前の受け答えや対応ができること。
冷静に自分を客観視できたり、人の言葉に耳を傾けることができること

それが、Bリーグの研修でやればできるとは到底思えません。

僕はそれらを、もちろんバスケだけでなく、スポーツの中で、大学生、高校生、中学生、小学生
の頃から少しずつ伝え、研磨していく機会、時には自分たちで発信したり、ディスカッションするような
機会をもっと増やさなくてはいけないのではないかと感じました。

今回の選手の行動は何度もいうように許されるものではありません。

しかし、育成年代の指導者として、そこに至るまでに多くの指導者と出会ったきたと思います。
その時に何を経験し、何を伝えられたのか。

日本はバスケ(スポーツ)の能力が高いと、勉強や素行も許される
という傾向にある気がします。
また、自ら考えることが少なく、全てが最初から決まったルールの中で、それを守ることが当たり前な気がします。
しかしそれは守っているのではなく、逃れいる、または中学や高校でなら、3年間の我慢
で終わってしまってはいないでしょうか。

本当に、選手たちが自分で考え、多くの失敗を重ね、自分の中で
こういう人間にならなくてはいけない。プロになりたいのなら…
と考えていたのなら、今回のような不祥事は起こらなかったのではないでしょうか。

また、バスケが広がったことは多くの人の努力があり、またその力は本当に偉大だと感じます。
しかし、それがもし、選手を間違った方向に進めてしまっているとするのなら、
僕ら、バスケットボールファンはもっと、本当の意味で選手やチームを応援するように
ファンとしても成長しなくてはいけないのではないでしょうか。

僕はそう感じました。

これは以前、チラシ配りをする選手を見た時に、正直配ればいいんだろ
そんな雰囲気を感じたことがあります。
僕個人として、なんかちょっといいの?と思ったのですが、
ファンからすれば、大好きな選手からチラシをもらえることはこれとないハッピーな機会なのです。

ある意味、そんなんで喜んでくれるのね

というサイクルになっているとしたら、それは選手を間違った方向に導くファンとしての振る舞いなのかもしれません。

今一度、選手だけでなく、バスケットボールを愛する1人のファンとしても
僕は指導者としても、バスケットボールにとって正しい関わり方を考え、成長していかなくては
いけないのではないでしょうか。

バスケットボールの発展のために
選手や協会以上に、ファンという存在の在り方によってできることが
一番大きいのではないかと、いま、感じています。

皆さんはどう感じ、どう考えているでしょうか。

ぜひ、考えを共有できるのなら、コメントをいただきたいです。



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